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修行論 [日記]

内田樹先生の「修行論」です.


修業論 (光文社新書)

修業論 (光文社新書)

  • 作者: 内田 樹
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2013/07/17
  • メディア: 新書



神戸女学院大学文学部教授を2011年に退職されたあとに
同年、神戸市に武道と哲学のための学塾「凱風館」を開設された内田先生が
40年の長きにわたり稽古を続けている合気道を通じて
武道家として、研究者として、生活者として「修行論」を語られた本です.

私の世代は、「柔道一直線」、「サインはV」、「アタックナンバーワン」
そんないわゆるスポーツ根性モノに、子供の頃から慣れ親しんできたため
どちらかといえば「努力、根性」的な感覚をすりこまれてきました.

内田先生のいわれる「修行」とは、そうしたスポーツ根性モノとは
一線を画したものです.

「天下無敵」というような「あらゆる敵と戦って、あらゆる敵をたおす」
ことでなく、修行によって磨くべきものは「生き延びるための力」です.
勝敗や優劣を超えた所にあるものです.

「自分自身の弱さのもたらす災禍」を可能な限り最小化していき
他者と共生・同化する技術と身体を身に付ける訓練が「修行」です.

合気道に入門した事由について内田先生は書かれています.
『私は『強くなりたい』と思って合気道に入門したわけではなかった.
 私自身の弱さがもたらす災禍を最小限にするために入門したのである」

つまり武道の修行を通じて、強さではなく、自分自身の弱さの構造と
機能について研究する事が最優先課題であったとのことです.

武道的な意味の「弱さ」と、哲学者が考察する「無知」が
たぶん同一の構造を持っていて、「変化することへの強い抑制」の
ことであると内田先生は書かれています.

何か起きるか「待つ構えは、原理的に「後手に回る」、そして
「想定外の危機」に対して「砂の中に頭を突っ込んだ駝鳥」のように
何も反応しないという戦略では、危機に対応することは出来ません.

カタストロフ的状況にあって生き延びる確率を高める為には自我に固執せず
その時にその場にいる全員が持ち寄った感覚情報を統合した「統一感覚」を
五感とする一種の協働身体(キマイラ的身体)の構築が重要であると
内田先生は書かれています.修行を通じてパニックの際に
自我を手放さない「利己的人間」にならないために修行するのです.

「いつ、どこで」戦いが行われるかを予測し「いるべき時に、いるべき所にいて
なすべきことをなす」ことが出来る能力を磨くことが修行です.

その時々の歴史的環境において生き延びるために最も有効な手立てを
ためらわず選択することが出来るのが、その語の本来の意味での「武士」である.

「武士が今の時代に生きていたら、おそらくは最先端の科学を研究しているだろう.
どうすれば人間のいきる智慧と力が高まるかを知るために、医学であれ
情報工学であれ、軍事科学であれ、そういう研究をしているはずである」
(本文より引用)

「医学」や「危機管理」を「修行」という観点で見る事で
武道の訓練を受けていない私にも「修行」のめざすものが分かった気がします.

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