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大人のいない国 [日記]

土居 健郎:氏の「甘え」の構造 」に始まり
小此木 啓吾氏の「モラトリアム人間の時代」
そしてアダルトチャイルドなどなど、大人になりきれない
大人になりたくない、そんな微妙で繊細な感性が
日本人の特性というべきなのでしょうか.

何度も繰り返し起こる食品偽造の問題、不適切な発言や不適切な行動で
陳謝を繰り返す責任ある方々の姿に大手医療グループの選挙違反の問題など
いまだにこの国は大人になりきれていない幼稚化といっても良い状況です.

様々な困難な状況と歴史を経て、この国とこの国の住人は大人として
本当に成熟できているのか、そんな問い掛けに対して
ご存知内田先生が答えてくれました.


大人のいない国 (文春文庫)

大人のいない国 (文春文庫)

  • 作者: 鷲田 清一
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2013/08/06
  • メディア: 文庫



内田樹先生と鷲田清一先生の対談とお二人の論説が掲載されています.

メディアでもネットでも、「こんな日本に誰がした」という
犯人捜しの物言いで他罰的に社会を論じる人々が増えている
ことについて、お二人は社会の一員であるという自覚が
欠けていると説きます.

あらゆるものを費用対効果で考える消費者マインドやいろいろな場所で
目にするクレーマー体質の状況は、未だ日本が幼児化のままで
大人に成熟できない社会であると説きます.

「子どもを成熟させないシステムを作り上げてきたのは私たち自身」であると
「大人のいない日本」の現状が内田先生と鷲田先生のお話で浮き彫りになります.

「大人の愛国論」という内田先生の論考では愛国心について議論されます.
「現代国家は『均質的集団』にはなりえない」とあります.「均一的集団」が
どのような状況であるか、現在の状況を考えてみれば頷けます.

現代において、国民国家は「不愉快な他者」を隣人として
受け入れるという悲痛な決断の上にしか成り立たないと
内田先生は説かれています.そういうことです.

「呪いと言論」という論考では、現代のネット社会における匿名性の問題について
「ネット上の貶下的言語は本質的に『呪』である」と説かれています.

そしていまのネット上には「呪いの言葉」が瀰漫しているため、内田先生は
こうした「呪」を霊的に制御する装置が必要だと思っているとのことです.

ネット禁止とか、携帯禁止とか、SNS禁止とか、法制的な制御ではなく
次元の違う所で策が講じられるべきであると.

ネットに書き込まれた言葉で人が苦しみ、時に死を選ぶこともある状況で
「あなたがしていることは呪詛である」ということを
本人に知らしめる事が効果的であると内田先生は書かれています.

「言論の自由」が話題になっている昨今でありますが、言葉を受けとる
受信者へ敬意、予祝、ディセンシー(礼儀正しさ)が必要であると.

臨床で仕事をしている私にとっても、言葉は、それだけで
癒しの効果があることを実感しています.
ご高齢の通院患者さんが増えている状況ですが
「もう年だから」という言葉は、しばしば無神経に医療者からも身内からも
発せられている状況があります.

共著者である鷲田先生の御専門は臨床哲学ということで、この本の中には
臨床の場での実践に応用可能なヒントが詰まっています.

内田先生の言われる「予祝」としての言葉を臨床でもっと吟味して
私たちが発する事が出来れば、現場にあふれる病気の呪縛を少しは
和らげる事が叶うのでしょうか.

いつもながら内田先生の御著作は、頭をブンブンと刺激してくれます.

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